暑さ寒さも彼岸までという言葉通り、日々の生活にかかわりを持ちながら、春と秋のお彼岸を迎えてまいりました。
春は彼岸が近くなりますと寒さももう少しの辛抱、そして桜がすぐそこにと待ち焦がれ、秋の彼岸が近づけば寒さも、もう少しの辛抱と生活に近い仏教行事です。
ですが、8月ももう終わり、秋のお彼岸がすぐそこなのにこの暑さ。
毎日朝起きて眩しい太陽を見ますと少し恨めしいです。
春、秋のお彼岸は、お盆と同じく、ご自身にとって大事な故人、ご先祖のお供養を致します。
蓮華堂(水子供養のお堂)、絆縁堂(水子永代供養のお堂)の皆さんにとっては亡くなられたお子さんの供養の大事な時期です。
お墓へお参りの皆さんには大事な故人、ご先祖様に自分が今日ある大事な人、ご先祖様のお蔭で今日あるという報恩感謝を表現する時期です。
水子供養へおこしの皆さんは亡きお子さんの良き転生を願い、家族の安寧をお祈り致す時期です。
そして、よく使われる、追善供養。
当院でも水子追善供養(釘掛け供養)と申し、多くの皆さん若い皆さんとご縁を頂いております。
追善とは亡くなられた方に対して後から追いかけて、この世に残っている私たちが集まり、仏事を営み、そして亡くなられた方々が出来なかった、足りない分を補う善根功徳を積むことを言います。
供養とはお香、お花、お水、御燈明、御膳(ごはん)等を蓮華堂(水子供養のお堂)、お家の仏壇、お墓へお供えし、願わくば僧侶の読経をうくることから始まります。
これを積極的に実践致しましょうというのが彼岸です。
ある意味、ご自身方の修業の意味もあろうかと存じます。
人間の持つ悪業が無い理想世界が彼岸です。
この、彼岸の1週間の間、先ほどに挙げた供養をはじめと致し、様々な追善供養を積むことで、ご先祖、亡きお子さん方理想の世界へ生まれ変わり、そして残っている私たちをお守りくださいと願い、実践する1週間です。
そして、理想世界の彼岸への到達を目指し。
中々、追善供養を積むと言ってもつかみ何処が無いかもしれませんが、先ずはお墓参り、お堂参りから初めて頂きたく存じます。
過日、長いお付き合いを頂いている檀家さんがお亡くなりになり御葬儀をさせて頂きました。
家族葬が主流の今日、この日は亡くなられた奥さんが比較的に若いせいか、お友達のお参りが多かったように感じました。
人数の多い、少ないではないのですが、やはり多くの皆さんと故人を弔うという空気は必要、重要であり、その1部を担う僧侶の読経も形式的との批判を前提でも重要と感じました。
これからも心を籠めての読経の必要性を強く感じました。
供養はこころの問題、自分の心のなかでお参りすることが大事で形は関係ないとおっしゃる方もおられます。
が、先の追善供養、葬儀のことも含め、形もとても大事と私は信じます。
若い皆さんが当たり前にご自身のお地蔵さんを奉納なされ、当たり前にお参りなさるその景色をこれからも大切にと願っております。