昨日も申し上げましたが、新区画の永代供養墓へのご見学有難う御座いました。
沢山の新しきご縁を頂戴出来そうです。
心よりお礼申し上げます。
お墓、供養の形は確かに時代と共に変化致すことはある意味必然かも知れません。
現に葬送、供養、お墓共に激変の時代と存じます。
しかし、根底にある、この世におられない自分にとって大事な方々、会いたくて仕方がないのに会えない方々への追慕の念。
水子供養へお越しの皆さんも同様とは思いますが、その追慕の念を表現し、亡き方々へ会いに来れるのがお墓であり、蓮華堂(水子供養のお堂)、絆縁堂。
ではないかと存じます。
お寺は皆さんの追慕の念、そして亡き方々にお会い出来る場所を時代に関係なく提供出来ることが大事ではと思います。
形は変わってもその根っこは変わっていないと存じます。
かって、お墓に私はいないという歌が御座いましたが、でも、そこへ会いに来て、追慕の念を持たれましたら、必ずそこにおられると思います。
追慕の念は忘れてはならないことと存じます。
今日は一日、穏やかな日差しで少し春が近づいて来たかのような感じです。
でも、寒さはまだまだ続きます。
どなた様もお体ご自愛の程、ご祈念申し上げます。