戦後から続いてきました家族の形態が核家族という言葉さえ忘れられる程急激に変わってきました。
少子、高齢化という現実が今までの家族形態を激変させています。
この流れは変わりそうにありません。
さて、私たちの日々の苦しみに原因があり、さとりにも道程があるようにすべては縁によって生まれ、そして消滅していく、自然現象の全てが。
この私たちもお父さん、お母さんを縁にして生まれ、食べ物に支えられ、様々な人々に支えられて日々が過ぎていきます。
様々な縁が支えているといえるのではないでしょうか。
私たちはとかく自分一人で生きているような気持になりがちですが、本当は先に述べましたように、様々ん縁に支えられ生きているのではないでしょうか。
生まれてくるということにしても勝手に自分が選んで生まれてきたのではなくご両親の縁を授かってのことと思います。
残念なことに様々な事情でこの世に生を受けれなかった水子さんはそういう意味ではご縁が薄かったのかもしれません。
残念なことですが。
言い尽くされたお話ですが、私たちに縁を下さったご両親もまた、同じようにそのご両親の縁で生を受けれました。
一体どれ程のご縁で今日の私があるかと想像致しますと気が遠くなるほどのご先祖のご縁にて生かされているのです。
先祖供養、お墓守りといいますと大変で辛く、意味がないと申される方も多いと存じます。
しかしながら命のバトンを繋いでくださったご先祖へ報恩感謝の気持ちで供養を致し、故人、ご先祖が眠ってらっしゃるお墓を守ることは当たり前に大事なことではないでしょうか。
そこで先に申し上げました家族の形態の変化、それの根底にある少子、高齢化、後継者の不在。
この問題はもはや避けては通れません。
仏壇、お墓、先祖供養の形は時代と共に変わっていってもお守り、供養する心の原点は忘れずにいたいものです。
寺はそんな皆さんへお手伝いできる存在でなければと痛切に思っております。
本日は1日中暗く、少し気持ちがふさぎました。
でも、雨の少ないここの所を考えましたら、有難いと思わないといけません。
インフルエンザの終息もまだ聞こえてきません。
どなた様もご油断の無きよう、日々の暮らしをお過ごし下さい。合掌