施餓鬼会はもちろん先祖供養を外して考えられませんが、仏教ではむしろ無縁の衆生を苦しみから救うという根底があります。
それを具体的に示している供養が施餓鬼会です。
修行僧が食事の時に鬼神(きじん)に施す為、合掌して7粒のご飯粒を台に置きます。
これは、鬼界の衆生に施す食事なので生飯(さば)と言います。
そして、修行僧は食事を始める前に『汝ら,鬼神衆よ、我今汝に施す。この食を十方に遍く、一切の鬼神と共にせんことを。
上は三宝に分かち、中は四恩に分かち、下は六道に及ぼし皆同じく供養せんと』と唱えます。
これは食事を一切の鬼神に供養すると共に、更には仏宝僧に供養し、父母、衆生、国王、三宝の四っの恩に分け、
六道にも及ぼして平等に供養するという考え方です。
仏教ではもっとも苦しんでいる(餓鬼)へ慈悲の手を差し伸べることが第一義ですので修行道場では日々の修行の中で実行致しているのですが、
これを広く、皆さん、お檀家さん、水子供養へ起こしの皆さんと共に致しましょう。
この功徳を皆で積み上げましょう。
という施餓鬼会の根本精神です。
そして、先祖供養とのつながりは。
今、私たちは有難いことに自分の先祖、大事な故人、亡くなった赤ちゃん(水子さん)へ追善の供養をすることが出来る。
でも、先程から申し上げています縁無き衆生は誰がするの?
無縁でもこの私にどこかで繋がっている、そしてこの無縁の万霊(ばんれ)の供養は『願わくばこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道をじょうぜんことを』
とのお経の文句にあります様仏教の慈悲の教えに根差したものなのです。
或いは、私たち一人、一人が施餓鬼会の施主であると同時にこの私がご先祖に成り代わって施主を務めるともいえるのです。
つまり、亡き人、大事な故人が生前になされた布施の功徳をさらに我々が引き継ぎ補い、功徳を積むという意味で亡き人も施主の立場に見立てた供養が施餓鬼なのです。
故にその尊い行為がそのまま先祖供養となるのです。
8月1日11時からの霊源院の施餓鬼会、ふるってのご参加をお待ち致しております。合掌