霊源院の名称を正式に申し上げますと、臨済宗東福寺塔頭霊源院(りんざいしゅうとうふくじたっちゅうれいげんいん)です。
宗派は臨済宗となりますが、一般には禅宗と呼ばれております。
禅宗の中にはあの有名な永平寺に代表されます曹洞宗、そして京都府宇治市にあります万福寺(黄檗宗)と、妙心寺や東福寺などをご本山とする臨済宗の三つがございます。
もちろん仏教ですのでお釈迦様の教えが根源にあります。
中国から伝わりました宗派ですので、あの有名な達磨大師が後世に遺してくださいました「座禅を通して悟りを目指す」というところが大本の所です。
達磨さんは面壁9年といわれますように只管(ひたすら)壁に向かい座禅の修行をなされました。
故に禅宗の全ての和尚さん方は、座禅をもって眼目となされています。
臨済宗は京都だけでも7か所の修行道場があります。
お寺の子供達など僧侶を目指す方々は必ずどこかの道場へ入門致し、一定の期間は缶詰状態となり僧侶になるための修行を致します。
当院の息子の長男、次男とも僅かですがお世話になりました。
修業を終えますと、初めて僧侶の資格が与えられます。
私も20代の終わりごろから何年か入門致し、鍛えて頂きました。
道場では、お経は当然にして、畑仕事、掃除、皆さんも見たことがあるやもしれませんが町中での托鉢などをいたします。
しかし、最も重要視され時間配分が多く費やされますのが座禅です。
朝晩は当然に座禅をいたしますが、1年に6回、接心と申しまして係の者以外は掃除も何もせずに朝から晩までひたすらに40分刻みにて座禅を致します。
皆さんもアニメの一休さんを見たことがあると思いますが、頓智で有名な一休さんも同じ臨済宗の和尚さんです。
その中で頓智の禅問答が出てきます。
実際の修行の中では、先生に当たる和尚さんから禅問答の問題が提示されます。
座禅を致して、問題の答えを探します。
自分なりに答えを見つけても、先生に突っ返され休していきます。
修行なされている方々は、答えを何回も持って行かなくてはなりませんので、どんどん必死になります。
雑念を考える余裕さえなくなり、ひたすら座禅を致している自分がいるのです。
このような修行を繰り返していますと、食事の時はひたすら食事をし、掃除の時はひたすら掃除、托鉢の時はひたすら托鉢、トイレで用を足すときもひたすら・・・になってまいります。
所謂、なりきり、三昧(ざんまい)という境地を少しばかり感じることが出来ます。
お釈迦様も苦行の後、それを止め、菩提樹の下で座禅をなされ宇宙の真理を悟られて仏陀となられました。
そんなことは到底に無理でも、本当にカスル程度ですが感じることができるのではないかと思いめぐらします。
修業での座禅について先にふれましたが、座ることだけが座禅ではありません。
お墓に向かい無心に故人の追福をお祈りすること、水子供養の皆さんが無心に赤ちゃんに手を合わせること、正しくそれも座禅そのものと思います。
故人の冥福を祈ると同時に法要を通して座禅をなされているのです。
それと同時に霊源院でももちろんですが、様々な場所、お寺にて所謂座る座禅会が用意され、座禅の仕方も懇切丁寧にしてくださいます。
そういう機会に触れ、お家に帰り、一人でたとえ10分でも無心に座ってみる。
それも又良しと存じます。
座禅に関心をお持ちの方は、宜しければお声掛け下さい。
合掌