霊源院の宗派は、禅宗の中の臨済宗という宗派になります。
禅宗の中には他に黄檗宗、曹洞宗があります。
但し、禅宗という言い方は正確にはありませんが、便宜上よく使われています。
さて、私も霊源院の住職を拝命致し既に随分となりますが、本当に入り口程度ですが若い時に修行道場にてお世話になり、今日があると思っております。
私には男の子が二人おり、共にそこそこの年になっております。
お店屋さんの場合では、お子さんが父の後を継ぐケースは多いと思います。
お寺に生まれて住職を目指している子供は多いのですが、お寺の子供だからということだけでは住職にはなれません。
所定の期間「修行道場」での修業を終えることが必須になります。
臨済宗の修行道場は、京都の場合は「南禅寺、建仁寺、妙心寺、東福寺、大徳寺、天竜寺、相国寺」の臨済宗各本山にあり、他府県にもございます。
その中から本人がお世話になる道場を選び、一定期間缶詰状態になり様々な修行を致します。
そこを経て初めて有資格者となり住職への道が開かれます。
修行道場では、来る日も来る日も座禅、作務(畑仕事、掃除等)、お経の練習などをさせていただきます。
そして、先生に当たる老師と呼ばれる方の講義もございます。
お陰様にて息子2人も何とか通過することが出来ました。
昔の修行僧は、この老師と呼ばれる方の功徳を求めて定住することなく、それこそ流れる雲や水のごとく師を求めて歩いたそうです。
ただ、今は一か所の修業道場で鍛錬をすることが、一般的になりました。
先にお話し申し上げましたように、各道場では修業が行われていますが、修行をしている僧侶を雲水(うんすい)と呼びます。
この呼び名は雲、水の如く融通無碍にあちこちへ移動致し修行を続けている方という意味を持っています。
私たちは、人生の中で様々な問題や悩みを抱え、うずくまり、そして動けなくなり、辛い思いにさいなまれることがあります。
そんな時に、この禅語を思い出していただきたく思います。
雲は様々、形を変えながら空を留まることなく悠々と漂い、そして水は岩場に引っ掛からずにすいすいと流れて行きます。
このように、周りのもの、言動に捉われずに、自由に飄々とした心で日々を過ごせるようになりたいものです。
雲や水の姿に自由な心を重ねて願う禅語です。
水子供養へお越しの若い世代の方々や、お檀家さんやお墓参りの皆さんも、コロナ禍で大変な思いをされていると思います。
ニュースなどでは、日々の状況の変化を知らせています。
以前から予定されている行事への参加などは、自粛の呼びかけのある地域にお住まいの方や、体調がすぐれない時など、より良い判断をしていただければと思います。
今、霊源院のある東福寺の通天橋はいよいよ紅葉が赤く染まり見頃を迎えています。お越し頂きました時には紅葉の上に広がる雲を見、通天橋を流れる川の流れを見てこの禅語を味わって見て下さい。合掌