永代供養墓の浄心壇でご縁をいただきましたご家族が、福島県にいらっしゃいます。
霊源院は本当にご遠方にも関わらず普通にご縁が頂けております。
しかも先程の福島県のお方様も、年に二度はお墓参りにお越しになられます。
その都度、ご丁寧にご挨拶下さいます。
そちらのお宅は地元でコーヒー豆の焙煎、販売をなされています。
当院までお越しの節や郵送で、コーヒー豆をお供え頂きます。
お供えの後に私が頂戴致しております。
かおり、味共に絶品です。
朝、門を開け、本堂のご本尊様と各仏壇、韋駄天様へ茶湯をお供えして回ります。
一通りお寺の行事を済ませて少しゆったり致します。
新聞をテーブルに置きましたら、台所へ行きます。
頂きました珈琲豆を一人分ドリップ致し、珈琲を入れます。
それをテーブルへ運び、新聞を開きながらゆっくりと頂戴致します。
何とも幸せのひと時です。
どうぞ、お茶でも召し上がりお帰り下さいなという程度の意味です。
高名な和尚さんの所へ修行僧が立ち寄り、悟りの道を尋ねました。
和尚さんは何を問われても「まあ、お茶でも・・・」。
また、何を問われても「まあ、お茶を飲み帰りなさい」としか返答なされなかったそうです。
しかし、そこで修行僧は「はっ」と悟られたそうです。
悟りというと、何か特別のものがあるように思いがちですが、その和尚さんは「悟りとは何か。特別なものではないのだよ」ということを示されたのではないでしょうか。
禅語としての解釈は中々、難しいです。
しかし、この言葉は別の見方も出来るんですよ。
お越しのお方様へ「どうぞ」と差し出す一杯のお茶でお相手にねぎらい、思いやりをお伝えいたすことが出来ます。
初対面のお方、少し苦手な方、間にお茶を呈すだけで空気が和やかになるのではないでしょうか。
先ずは、コーヒーでも紅茶でも、又、日本茶でも”喫茶去”です。
霊源院でも客殿(玄関の正面の広い部屋)の真ん中の部屋に寒い時期ですので保温機を用意致し、お茶と缶コーヒーを入れてあります。
お墓参りの皆さん、水子供養へお越しの皆さん、テーブルにお掛けいただき庭を見ながら、どうぞ”喫茶去”。
今日はお茶のお話ばかりになりますが。
東福寺の御開山聖一国師(ごかいさんしょういちこくし)(東福寺を開かれたお和尚さんです)は静岡県のご出身でいらっしゃり、ご実家は今でも続いているお茶農家です。
東福寺は今でも親しくお付き合いが続いておりますが、毎年五月の新茶の頃には本山に美味しいお茶がお供えされます。
何か喫茶去の言葉を見ますと深いご縁を思います。合掌