今朝の朝日新聞の天声人語を読んで、またしても深く反省させられました。
江戸時代の後期は医療に使うことも含め、「氷」を手に入れることが非常に困難だったそうです。
日本人の商人も思考錯誤を繰り返し手に入れる手法を考えたそうです。
本日の天声人語では氷の話から始まりました。
コロナのワクチン接種を無事にやり遂げるためには、先ずは海外からのワクチンを冷凍で無事に届けてもらうことが必須です。
私たちの日常も、ドライアイス、冷凍、冷蔵の技術抜きには成り立たないと書かれていました。
私がドキッと致しましたところをそのまま書きます。
私たちの暮らしは冷やす技術なしでは成り立たない。
冷蔵装置が整うまで、刺身は海辺の里だけの食べ物だった。
多くの人々は生涯憧れつつ想像するばかりだった。
書き残したのは柳田国男である。
昭和の初め内陸でも海の幸を楽しめる幸福をつづった。
天声人語から原文のまま引用致しました。
もちろん、上の文章はコロナワクチンが無事に進みますようにとの観点からなのですが、私は自分の中の当たり前にハッとさせられました。
スーパーへ行けば新鮮なお肉、お魚、野菜がならんでいます。
そして季節に関係なく果物や野菜が簡単に手に入ります。
最近はスーパーだけでなく、コンビニでも手に入るようになりました。
簡単に手に入ることは、とても有難いことです。
しかし、有難みを感じることもなく、「これは美味しい、あれは美味しくない」と平気で語っていました。
たいした労苦も無しに簡単にそれらの食材が手に入るのは、冷蔵、冷凍の技術の進化のお陰です。
生産者の皆さんが汗して収穫された食材を、地域から地域へお運び頂いている物流の皆さんの努力のお陰でもあります。
今朝の天声人語は、沢山の方々の見えない努力を「当たり前」に感じていた自分に冷や水を掛けられた思いでした。
思えば、食物に限らず、お水、電気、ガス、更には様々なお受けくださるサービスも含め、それを用意致して下さる方々がおられるから成り立つことなのです。
お金は無いと手に入りませんが、お金があってもそれを支えて下さっておられる方々がいなければ手には入らないのです。
怖いことに当たり前が身についてしまうとこんな簡単な理屈にさえ目が向かなくなります。
慣れにずっぽりとはまり、思い上がっていた自分が恥ずかしくなりました。
基本に立ち返り、有難く頂く、有難く使わせて頂く、提供下さっている方のご苦労に少しでも目を向けて頂戴致すようにせねばと心致しました。
以前に禅語として書きました「知足」。
今一度、咀嚼(そしゃく)致さねばなりません。合掌