たまたま、テレビのスイッチを入れて目に飛び込んで参りました番組。
アフガニスタンというところで長年に渡り、用水路を自分が先頭に立ち造っておられたお医者さん、確か脳外科医さんでしたか、中村 哲さん。
このお方の追悼番組でした。
2019年に用水路造営の工事を地元の皆さんとなさっておられる中で銃撃に会いお亡くなりになられました。
その当時の衝撃は凄まじかった記憶があります。
地元の皆さんの為に行っている事業なのに、何故、地元の方々の襲撃?
と思った記憶があります。
同じ民族でも考え方は様々でしょうが、自分たちの為に一生懸命な方を何故と思いました。
辛く、残念なことと思ったことを思い起こしました。
番組の中で解りましたことは、どれ程中村さんが皆に慕われ、信頼され、頼りにされていたことか。
そして本人はそんなことは全く気にもせず、ひたすら地元の皆さんへ用水路を提供することの実現しか頭になかったこと。
そんな、中村さんの所へは又、素晴らしい人々が次々と集まって来ておられたようです。
頭が下がる思い以外ありません。
更に、びっくり致しましたのは、葬儀の時にご子息が弔辞を述べられました。
開口一番、父親の死の悲しみに触れる前に、彼を守ろうとしてお亡くなりになられた、地元のお方への弔意と御詫びをおっしゃてました。
びっくり致しました。
素晴らしい人格の父親の子供は父が語らずとも背中をやはり見ているのですね。
自分の未熟さが見えて少し辛いのですが。
本当に日本の誇りのお一人と心から思いました。
今となっては、ご冥福をお祈り致すことしか出来ないことが本当に残念です。
けれども、中村さんを慕う人たち、ご子息がこれからも彼の意志を引き継いでいかれることが間違いないと確信出来ます番組でした。
常に、この自分の心に刻み置きたい言葉です。
桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
桃や李(すもも)はものは言いません。
けれど、その木の下には季節に咲き誇る見事な花やたわわな実を求め自然に人が寄ってきます。
同様に優れた人の所へは声高に自己の業績を語らづ共自然に人が集まってきます。
うわべだけの言葉、実績を並べたり言葉巧みに語っても、人徳が無ければ、それは直ぐに見抜かれ人は去っていきます。
この言葉を常に頭の隅から抜かさぬようにと思いました。
言うは易く、行うは難しですが。
少し暖かくなってきたように感じます。
まだまだ、本格的な暖かさは先のこととは思いますが、先日の凄まじい寒さを思い起こしますと、ほっと致す一日になりそうです。合掌