この二つの禅語は、修行道場からお寺に戻って宗教活動をなされている和尚さんの多くが、大事にされている言葉かと存じます。
以前にご紹介いたしましたように、臨済宗は得度(お坊さんとしての出発の儀式)を終えますと各本山の修行道場へ参り、一定の年限をそこで暮らします。
そこで、座禅、托鉢、作務(掃除、畑仕事等)を規則通りに朝から晩まで決まったスケジュールで日を過ごします。
余計な妄想、余計な考えが起こる余裕を持たさぬように、時間で追いまくるといっていいかもしれません。
必死に一日をこなすことが命題になります。
このような環境の中で、刻一刻と先に述べました二つの禅語は問いかけてきます。
直心是道場(今の自分の心の有りようが修行の時ぞ)。
歩歩是道場(歩いているとき、座っているとき、寝ているとき、24時間のお前の行動こそ修行の時ぞ)。
つまり、お寺の和尚さんにとっては”日々が修行ぞ!”と、叩き込まれるわけです。
此方は中々大変です。
仕事としてお寺の活動を致し、その日々の生活の全てが修行へと繋がっているといわれているのですから。
普段は檀家さん、水子供養のお参りの皆さん、永代供養墓を通じてご縁を頂きました皆さんとの、法務(法事、法要)に全力で過ごしているつもりです。
しかし、先に述べました禅語に頭をたたかれることがしばしばあります。
過日、檀家さんのお宅にてご不幸が発生致し、ご葬儀へ参りました。
葬儀会場の控室で葬儀に備えお葬式用の袈裟を付けようとした時です。
袈裟に付いている紐が根元から綻びて取れてしまいました。
結んでごまかして使える状態ではありません。
葬儀開始の10分前の出来事です。
時間がなかったこともあり、頭が真っ白になりました。
葬儀会場の職員さんのところへ走り、安全ピンを下さるようにお願い致しました。
職員さんは落ち着いて、お持ち致しますのでお部屋でお待ち下さいとのこと。
落ち着いた対応でした。
直ぐに安全ピンが届き、袈裟を付けるの迄、職員のお方がお手伝い下さいました。
お葬式は無事に完了致すことが出来ました。
職員の皆様の迅速な動きに心から感謝です。
日々の暮らしの中では想定内、想定外の出来事が混ぜ交ぜで廻って参ると思います。
それは、どなたも皆同じと思います。
想定内の出来事は問題ないのですが、問題は想定外の時です。
先ずはお腹にぐっと力を入れ、この今の私の心が修行の場だぞ、或いは今やっている歩歩(日々の生活)、これが修行の場ぞと自分に問いかけなくてはなりません。
日々やってくる、想定内のこと、想定外のこと、辛いこと、悲しいことさえも修行なんだと考えることも必要かも知れません。
そう考えると乗り越えられる苦難もあるのかなと思います。合掌