私の実家である長野県安曇野市へ3年ぶりに両親やご先祖のお墓参りに行ってまいりました。
私の両親も亡くなり何年かが過ぎました。
今は両親共に少しのお骨を自分の部屋でお祀り致し、朝にはお茶を供え、手を合わせてはおります。
しかし、コロナの厳しい状況が続きましたこの3年間は両親を含め、おじいちゃん、おばあちゃんの眠るお墓参りを願っても状況がそれをかなえさせてくれませんでした。
やはり、迂闊に実家に戻り、家とお墓を守ってくれています妹へ迷惑を掛けることは出来ぬということで、お墓参りを辛抱致して参りました。
最近にコロナの状況が少し好転致しましたことを受け、妹と相談致しました所、良ければお参りにどうぞという返事を頂きましたので、早速にお寺のお参りの無い日に実家へ行ってまいりました。
生まれた所というのはどなたもそうかと思いますが、懐かしく、心地良い場所です、コロナ以前は機会があれば妹に世話を掛け、実家に戻り過ごしていました。
それがコロナ禍で様変わり致し、人と人が距離を取り、コミュニケーションを避ける世の中になってしまいました。
そして、それが気が付くと3年の長きにわたって続いて来ているという今です。
久しぶりに実家に戻り、早速にお墓参りへ向かいました。
田舎の墓地はお寺の中にあるのではなく、地域の人たちが共同管理をなされている共有墓地です。
その為、水道も引かれていないので、お墓の花筒用の水を先ずは「やかん」へたっぷりと入れ、花と線香を用意致し向かいます。
車を止め、先祖のお墓の前に到着致しますと先ずは大きく伸びた草をざっと抜きます。
妹もお墓は何時も綺麗に致してくれてはいますが雑草の伸びる早さはそれ以上です。
目立つ大きな草を引き抜き、花を筒に入れ、線香を供え、此処からは皆さんと違い得意分野の読経をご先祖、両親へ届けます。
お墓を前に正面を見上げますとそそり立つ北アルプスの山並み、そして大きく息を吸い込みますと、清んだ空気が鼻を通して入ってきます。
お経が終わり、しゃがみ込み合掌を致し、お参りに来たことをお墓の中のご先祖、両親へ語り掛けますと、自分の中に安心感が広がっていきます。
お墓参りへ来て良かったなと思う瞬間です。
お寺の存在、法要の意義、お墓の必要性が問われている時代ですが、私は間違いなく手を合わせることが出来るお墓がそこに有り、本当に良かったと思う気持ちに満たされました。
ご先祖、大事な故人へ向かい会うお墓、これはやはりあって欲しいと心から願います。
暫くは山並みを眺めながら、子供の頃のことを思い起こし時間を過ごすことが出来ました。
その日は妹の世話で美味しい晩御飯とお酒を堪能致し、父と母そして先祖の位牌が祀られている仏壇に手を合わせ、満足一杯に眠りに着くことが出来ました。
皆様も時間をお作り頂き、暑い時ではありますが、是非、お墓参りにお越し下さい。合掌