霊源院での法事では、本堂にお位牌をお祀り致してご回向を致します。
御本尊である千手観音様へご一緒に合掌礼拝の後に般若心経をお唱え致します。
その時に、霊源院オリジナルのお経本をお参りのお方様にお開き頂き、私が般若心経を読み始めましたら、ご一緒にお経の文言を目で追うだけでも結構ですのでと申し上げて一緒にお勤めを致します。
その時に般若心経を読みますが、般若心経は皆さんがご存知の有名なお経です。
お経は、インドで仏教を開かれたお釈迦様がお弟子方に説き聞かせたお話を、お弟子の皆さんが書き留めたものです。
それが中国に伝わって漢訳されて、更には日本へ伝わり「お経」として定着致しました。
仏教宗派によってお唱え致すお経は違います。
お供養の際には、故人への追福菩提を願いお経をひたすらに一心にお唱え致します。
仏様にも一心にお唱え致すことで祈願の心をお伝え致します。
中国で漢訳されていますので、意味のある文章として成立致してはいますが、先ず第一義は「一心」に願いお唱え致すということかと思います。
しかし、皆さんに文言を目で追って頂きます時、その意味の片鱗を受け取って頂くことも又、有意義と存じます。
有名なお経ですので、その内容が解釈された本は沢山出版されていますので、既に意味も含め十分にご理解なされている方も多いとは思います。
少しだけお経の意味に触れてみたいと思います。
摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
照見五蘊皆空(しょうけんごおんかいくう)
度一切空厄(どいっさいくうやく)
舎利子(しゃありいし)
色不異空(しきふいくう)
空不異色(くうふいしき)
色即是空(しきそくぜくう)
空即是色(くうそくぜしき)
受想行識(じゅうそうぎょうしき)
亦復如是(やくぶにょぜ)
舎利子( しゃありいし)
是諸法空相(ぜしょうほうくうそう)
不生不滅(ふうしょうふうめつ)
不垢不浄(ふうくうふうじょう)
不増不減(ふうぞうふうげん)
是故空中(ぜえこうくうちゅう)
無色無受想行識(むうしきむじゅうそうぎょうしき)
無限耳鼻舌身意(むうげんにいびいぜっしんに)
無色声香味触法(むうしきしょうこうみそくほう)
無眼界乃至無意識界(むうげんかいないしむういいしきかい)
般若心経はまだ続きがありますが、漢文ですので読み下しが出来ます。
観自在菩薩が深(ジン)般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空であると明らかにされ全ての苦厄を度したもう。
さて、舎利子(しゃありし)よ、色(しき)は空(くう)に異ならず、空も又、色に異ならない。
色はそのまま空であり、空はそのまま色である。
そして、受(じゅう)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)も又かくごとしである。
難しいですが、お経はこのように漢文ですので、読み下しを致し、その意味も又、哲学的な深さをもっているように考えます。
有名なフレーズの「色即是空」、「空即是色」も上に読み上げました読み下しとなります。
ではその意味とはと問われましたら、軽々に語ることは出来ませんが「人間が持つ、つまらぬこだわりから目をそらして見なさい。仏教の教えの真実が見えてくるよ」と語っているようにも思います。
少し中途半端なお話になってしまいましたが、法事の時に唱えられたお経にご興味を持たれましたら、それを縁に図書館でお経の解説が詳しく書かれた本に目をやるのも良いかと存じます。合掌