ご存知の無い方が珍しいくらいに有名な禅語です。
霊源院の玄関へお入り頂きましたら、正面の木札に掛かれている言葉です。
意味は字の通り、自分の足元を見て、その有り様を認識致しなさいという意味でしょうか。
人は兎角、自分以外の方々の言動、行為を厳しく見定める傾向があるようです。
最近は言葉、新聞への投書を通しての自己の意見は少なくなり、SNSを通してどなたもご自身の意見を多くの皆さんへ発信致すことが出来るようになりました。
それも、とても簡単に自分の意見を表明致すようになってきています。
しかし、それは、第三者への意見の具申、世間の多くの人たちへの意見の共有を求める行為となっています。
そこには、では自分はどうなのだろうかという、ご自身への問いかけは飛ばし、先ずはSNSの紙上へ「どうなの」という問いかけとなります。
勿論、多くの皆さんへご意を求め、自分の思いを皆さんへ伝え、意見を集約致す為ということは十分に了解出来ます。
しかし、外へ向かい「見る」という行為は大事で尊いことは間違いありません。
ですが、その前に、先ずはこの私をよくよく、先ずみましょう。
そして、問題がありましたら、そこから修整へと進みますという、先ずは「自分の足元を見ます」という姿勢が大事なのではないでしょうか。
その様な意味で、このベーシックな言葉を味わって見たいと思います。
今年も多くのスタッフの皆さんのご協力、ご支援を頂戴致すことが出来、秋の特別御朱印の授与を開催致すことが出来ました。
霊源院の御朱印授与は、所謂、スタンプラリーの延長では無く、お越しの皆さんに先ずは、ご本尊の千手観音様へお手合わせ頂き、その後は、お寺の落ち着く環境で穏やかな時間をお過ごし頂き、お寺の空間の良き所を存分に感じて頂くことを趣旨と致し、此処何年か開催致しています。
お寺の落ち着いた空間で「写経」、「座禅」も気軽に体験できます様致し、収入を上げる為ではなく、お越しの皆さんに寛いで頂きたく、近くのお店の「稲荷鮨」を分売、そして、スタッフの皆さんがお世話くださいます、温かく、美味しい京番茶をどなたにも提供致しています。
お参りの皆さんに、とてもお喜び頂き、又、来年も来ますとのお言葉まで頂くほど皆さんに喜んで頂けました。
お寺ののこれからのあり方をご教示頂けます年となりました。
特別御朱印を始めて、暫くの間に感じましたことがあります。
御朱印へお越しの皆さんがお越し下さいまして、客殿へお上がり頂き、御朱印を授与致すのですが、玄関へお脱ぎになられた「靴」が右左、前後ろと脱ぎっぱなしであることに気づきました。
お急ぎのお方もあり、直ぐに出るからとの思いからの靴の脱ぎ様かとも思いますが、あまりにもひどい靴の脱ぎようでしたので、「脚下照顧」、靴はそろえて脱ぎましょうと紙に書き、張り出しました。
すると、直ぐに皆さん、きちんと履物を揃えて、お上がりくださるようになりました。
玄関へきちんと揃えられた靴を見ますと、お参りと御朱印がきちんと繋がり、この行事を実行致し、良かったと心から思いました。
揃えられた靴、本堂へお越し頂き、ご本尊「千手観音様」へ皆さんがお参り頂いています姿を拝見いたしますと法事、法要、お葬式ではありませんが、お寺が仏教の原点に立ち戻っていますことを実感致し、嬉しくなりました。
常に、「これで良いのかとの問いかけに繋がる(脚下照顧)」の言葉を忘れずに、日々を過ごして行きたいものです。合掌