以前にもお話し申し上げましたが、江戸中期にかけて確立された、一村一ヶ寺を前提とした「檀家制度」。
ご存知のお方も多いかと思いますが、この時代のお寺は所謂、地区の行政代理のようなところもあったようです。
お寺が発行致す許可証が無ければ地域の外へ行くことが叶いませんでした。
そこに、更に故人の弔いを一手に引き受けるお寺がそこの地域の皆さんと日常の暮らしを含め、強く結びついていたようです。
そこには安心感と共に、「我が家はこの宗派のなになに寺の檀家」という強い意識が醸成されてゆきました。
その名残りが今でもあり、「家はなになに宗のまるまる寺の檀家」というように皆さんが語る原点です、特にお葬式の時にはそこのこだわりが強調される時かと思います。
葬儀が発生致しますと今の時代、お寺よりは先ず葬儀社となります。
そして、葬儀社は故人のお家の宗教、宗派を必ず尋ねます。尋ねられた故人のお身内は普段はそれ程に宗教、宗派を意識なされてはおられなくても、親戚にも尋ね「我が家の宗旨、宗派」を葬儀屋さんへ伝えます。
そして、時にはご自身が縁を繋がれているお寺にお墓があっても、「宗旨、宗派」の違いを理由に全く縁の無い、我が家の宗派のお寺を葬儀屋さんに紹介頂き葬儀を勤めることがあります。
江戸時代中期の慣習が今も残っていると感じる部分です。
勿論、「宗旨、宗派」を蔑ろにということを述べるつもりは毛頭ありません。
只、ご自身方の大切なご先祖、そして大事な故人を祀って下さっているお寺との縁こそが大事なのではないかと思います。
今までも、これからも先祖、大事な故人の終の住処をお守り頂いているお寺こそ、「宗旨、宗派」を超えて、自分たちの拠り所と思って頂きたく思います。
永代供養墓はそれを指し示してくれています。
通常墓の皆さんは勿論、永代供養墓の皆さんは、そこに自分の大事なお方が安らかに眠っておられますので、ご自身方の拠り所として当たり前にお参りにお越し下さっています。
永代供養墓の皆さんは将来、お墓を継続的にお守り出来ぬ可能性がありますので、より一層「永代供養」という部分を大切に、深い想いでお墓守りをなされています。
そこには、「宗旨、宗派」の大切さを認識為されたうえで、此処は「私の家の宗旨、宗派」とは違うけれど、「私の拠り所」は「此処」という気持ちが強いと感じます。
江戸期のお寺への想いに通ずるものを感じる所です。
少し前までは、家も代々続き、お墓も代々に渡りお守りしてゆくということに疑義を持たれる方は少なかったように思います。
しかし、少子高齢化が愈々目の前に来て、そのお守りが難しくなると同時に、心の拠り所を永代供養のお墓に求めるお方様増えて参りました。
そして、ご縁が叶った皆様とお付き合いを致していますと、そこに「安心の拠り所」を感じて下さっている方々が多いことを実感致します。
代々墓にてお寺とのご縁を継続頂き、将来に渡り縁が繋がることはお寺にとっては何より有難く、甲斐の有ることです、しかしそれが叶うのが難しい、今の時代には永代供養のお墓は「必須」と感じます。
「宗旨、宗派」を超えて、「このお寺が私の心の拠り所」と多くの皆さんに思って頂けます様、お墓守り、お寺守りを致して行かねばなりません。
つぎの世代の守りての、二人の息子には永代供養墓の持つ大事な意義を伝えねばと思うことです。
今年の紅葉狩りも終わり、東福寺は随分と静かになりました。
先日の強風にて、紅葉の葉がいたる所に散乱致しています。
残っている紅葉も正月くらいまでは落ち続けます、少しづつ掃き掃除は致していますが、なかなか綺麗に片付けることが叶いません。
お墓参りの節には「見苦しい」景色もあろうかとは存じますが、暫くの間、ご辛抱下さいます様、お願い申し上げます。合掌