ここ10年の間に故人をお送り致す儀式、「葬送」の形が急激に変化してきました。
葬送の形に限らず、全てのことの有り様は変化し、同じ形で止まらぬことは間違いありません。
その時代、そこに生きる人々により成立致している社会の有り様、良き方向へ進むことを希求致し、変わることは受け入れる必要があるように思っています。
しかし、その変化の中でも「この部分」、「この心持」は失ってはならぬという所はあるように思っています。
過日、少し残念なお話しをお伺いました。
親しくお付き合い頂いている年配の地方のお寺のご住職がお話し下さったことです。
そこのお寺で近しくご縁をお繋ぎ頂いておりました檀家さんの御親族のお方から電話を頂戴致し、お話しを致すこととなったそうです。
「檀家さんの懇意にさせて頂いておられるお方がお亡くなりになられたので、そのことに関してお寺に許可を頂きたいとのこと」。「故人の訃報を伝えられた上で申されますに、葬儀等に関してはとにかく此方の段取りでしますので、それで良いですよねとの申し出」。
お墓へ埋葬の時にトラブルにならぬようにという事でしょうか。
細かく詳細をお聞きいたしたいとお伝え致したそうですが取り付く島もない状態で、では、そちら様の良いようにという返事を致し、その後のことは一切解らぬとのこと。
葬儀をなされなかったのか、或いは、他の方法にて故人をお送りなされたのかは未だにお聞きは致しておりません。
人が生まれてきました時は、その新しい命に向かい近親の方々の祝福を受け、病を受来れば、その容体に心配のお声掛けを頂き、そして、良き伴侶との縁が繋がりましたら、同じく近親の方々、懇意の方々から祝福を頂きます。
その節目、節目にて巡りくる出来事に際して、形、規模はともかくも喜びを共に共有して頂く儀式が今日までなされてきました。
今日、形態の変化は当然にありますが、その有り様は続いています。
そして、最後に迎える近親のみなさんとのお別れの儀式「葬儀」、今までお世話になったお方へ心からの謝意を示す、これも又避けてはならぬ大事な儀式です。
経済的なことを含め「華美に」致すことに縛られる必要は全くありません。
残った近親の皆さんの「身の丈」で故人をお送り致せば良いのです。
私の師匠は今も元気でおってくださってます、その師匠が常々、申していることがあります。
「自分を送る、葬儀式は決して華美に飾り立てする必要はない、棺の前にロウソク、線香、一対の花を飾り送ってくれればよい」、「後はお前たちのお経と焼香があれば良い」と。
葬儀に掛かる費用、お寺への御礼を考えますと、故人をお送り致す大事な儀式とは言え腰が引ける思いも解らぬではありません。
しかし、葬儀屋さん、世間への目線で腰を引かず、ご自身方が故人を心から感謝の気持ちでお送り致すということを根底に据えて頂きましたら、費用のことを含め、お寺の住職は必ず、無理なく対応下さるはずです。
周辺的な事情だけで大事な故人の葬送を省略致すことは避けたいものです。
不安な部分に蓋をせずに、故人を心から思う気持ちでお送り致す意味でも、ご遠慮の無いようにお寺と関わって頂きたく、切に願います。
霊源院、龍眠庵共に通常墓、永代供養墓の皆様と近しくお付き合いを頂いております。
これを尋ねるは失礼ではとのお気遣いは無用です、葬送の儀式に限らず、様々お尋ねがございましたら、お声を掛けて下さい。合掌