日の経つ早さを嘆く言葉を今までに何度お伝え致して来たでしょう。
有難いことに檀家さんのご自宅へ毎月の命日参りにご自宅まで寄せて頂いています。
先ずは仏壇に向かい、ご本尊様へご回向、そして、ご先祖へのご回向を勤めさせて頂きます。
檀家さんも後ろにお座りになられ共に合掌、礼拝を下さいます。
お寺にとって近しくご縁をお繋ぎ頂いていることを実感致す時です。
お寺の勝手な想いではありますが、最近はお若い皆さんがご夫婦共にお勤めのお方が多いのでやむを得ないことなのですが、月参りを実行致すことは困難になって来ており、少し寂しく感じる時もあります。
お参りにお邪魔致したお家の仏壇前での法要が終わりますと、お手数を掛けて恐縮致すのですが、ご丁寧にお茶の用意を下さいます。
美味しいお茶を頂きながらの雑談のひと時、嬉しい時です。
そのお話しの中、ほぼどこのお家でも出る言葉のフレーズ「一月の過ぎるのが早いですね」、このフレーズが出ないお家は先ずありません。
私も毎月にお邪魔致していますが「ついこの間、お邪魔致したと思ったら、もう今月のお参りですね」と何度語ることでしょう。
そうです、5月ももう終わり、大まかに思えば、既に一年の半分が過ぎようとしています、嘆いても致し方ないのですがやはり「ボヤキの言葉」は口をついて出てしまいます。
しかし、早い時の流れを感じられるのは、日々の暮らしが順調で、自身の体調も健やかで暮らせているから、早い時の流れを感じられるともいえるような気が致します。
そう思えば、日の経つ早さを嘆くだけが能ではないかもしれません。
お聞きになられたことはあるでしょうか。
この言葉の言う所、中国の昔話から来ているようですが、仙人の壺の中で10日間過ごした男が元の世界に戻り帰ってくると10年もの歳月が流れていたというお話です。
日本の浦島太郎のお話しに近いお話しでしょうか。
外から見ましたら、仙人が住んでいる所とは言え壺の中なんてとても狭くて窮屈そうです。
けれど、此の男が語るには、壺の中はとても広くて楽しかったとのこと。
どなたもそうかとは思いますが、楽しいことはあっという間に時間が過ぎゆきます。
自分の気持一つで嫌な仕事や、やらねばならぬことさえ楽しみになることは可能ですし、狭い部屋も心の持ちようで思いが変わるのかもしれません。
心の持ち方次第で時間も空間も驚くほど自由にその姿を変えるのだよと語っている言葉です。
そうは申し上げても、時の経つ早さに身構える自己、狭い空間に不満を持つ自分からは中々に抜け出せません。
それでも、時の経つ早さの嘆きに押しつぶされることなく、何とか一日、一日を積み上げて行けたらと思っています。
私も今日はゆったりとした日を過ごさせて頂いています、しかも、外は大雨、パソコンの前に座りながら、この言葉を思い起こしてみました。
能登地震から日が浅く、被災地の皆さんは土砂崩れも含め、気が休まらぬ時間を過ごされておられることと思います、先ずは甚大な被害が起こりませんことを心から願い、この大雨が無事に通り過ぎることを祈念致したく思います。合掌