老害という言葉

2024.06.26

老害という言葉

嫌な響きの言葉です「老害」、自身が高齢者の括りに入りましたので余計に過敏に反応致してしまうのでしょうか。

今朝の朝日新聞の「声」欄が奇しくも、その特集でした。

思わず覗き込み、一気読みを致しました。

様々なご意見が掲載されておりました、不本意な言葉であることへの憤り、又、自分を省みて反省の思い、多くの皆さんの思いを興味深く読まさせて頂きました。

先の世界大戦で多くの方々が想像出来ぬような辛い想いの中で戦後日本を見事に復興なされ、その恩恵を受けている私たちはその方々の苦労を実感できず、遠い昔の出来事と思っている側面は否定できません。

その、苦労を抜けて新しい日本をお作り頂いた皆さんが今は、思いも得ぬような長寿の中で日々を暮しておられます。

又、少し下の世代、戦争を知らない私たちでさえ、「高齢者」と呼ばれる年齢にたどり着きました。

現在、日本は群を抜く長寿国とのこと、もっとも少し前までは、語尾に経済の大きさを意味する「大国」という言葉が冠されていました。

それも、これも今は高齢者となられた皆さんの努力の積み上げの結果、だから、「老害」などという不遜な言葉を使うべきではないなどと申しあげるつもりはありません。

現在の私たちが暮らすこの国は、経済成長は頂上まで行き、今は右肩下がりの日々です。

それでも、豊かな暮らしの一旦を残しながらも、共に若い方々は暮らしが良き方向に思うように向かず、結婚をなさる方は減り、その結果お子さんの数も減り、「少子高齢化」がそれこそ呪文のように繰り返され、これ又、辛想いのひびのお方も多いようにお聞き致します。

そんななか、日々の暮らしの中で、若い方々から見ますと余裕を持って自分以外の他者を優しい目線で見れない環境もあり、それは又、高齢の私たちも同じく余裕を持って優しい目線で他者を見ることが出来ぬのが現況かもしれません。

そのことを想い乍ら「老害」という言葉を想い描いた時、若い皆さんの「若害」と対をなし、高齢者、若い人の区別なく、世相の荒れた、思いやりに欠けた有り様がその言葉として独り歩き致しているだけのような気が致します。

年齢を重ねましたら勿論、若い頃のようにサクサクとは動けませんし、言葉もさっとは出てきません、しかし、それは若い人達に向ければ、こんなことも知らないのか、そういう工夫があるのにとの高齢者目線があります。

先ずは年齢で括ることから脱却致すことが大切かも知れません。

最近は病院、様々なお店、サービスを売っている所での「ハラスメント」が話題になっています。

しかし、それは高齢者だからあるのではなく、勿論若い方の中にも当然に有ります。ということは「老害」、「若害」という括りで語ることは意味を持たぬような気が致します。

それこそ、老いも、若きも「我がことの有り様を真摯に見つめることを怠らづ」、この日々を積み上げることがこの嫌な響きの言葉を無くす早道のような気が致します。

他者を非難致すことで、一時の留飲を得るのではなく「自己を見つめる」ことから先ずと思いたいです。

洗心

人は嫌なことがあったり、落ち込んだりすると心は「くすん」でいきます。

又、汚れていなくても、慌ただしく、辛い日々を生きていると心は更に暗くなってゆきます。

そんないやらしい気持ちの解消に外へ目を向けてそのストレスを解消致すのではなく、我が心を素直な気持ちで覗いて観ることが大切です。

感動が減ったとか、毎日がつまらないと思うことが増えましたら「一度、心を洗って柔らかくしてみましょう」。

それには、美しい風景や様々な芸術にふれることが良いのではないでしょうか。

気持がほぐれて綺麗な感情を取り戻すことが出来ます。

自画自賛になりますが、霊源院では庭に清流の音が響き、野鳥が水浴びに来ます「野鳥の庭」が有ります。

そして、座禅の体験、写経を致し、この私の心を見つめることが出来ます。

機会をお作り頂き、お越し頂きたく願います。合掌

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