新聞だからこそのお話し

2024.08.27

新聞だからこそのお話し

次男がお寺に戻り私と共に皆様へご縁をお繋ぎ頂く、法要、お参りに寄せて頂くようになり早二カ月が過ぎました。

本人なりに様々な取り組みを真摯に致している姿を見ますと、会社とのご縁を頂いた六年は決して無駄ではなかったと思えることがとても嬉しい日々です。

朝のお勤めを致し、七時に門を開け、お寺の中の一通りの掃除を二人で致します。

一息つく為にコーヒーを淹れ新聞の一面から目を追います。

私の所は朝日新聞を頂いていますが、まずは一面の上からトップニュースを読み、天声人語、そして裏面へと読み進みます。

特に毎日の天声人語は楽しみに致しています。

新聞社の中でも相当に重い担当であるだけに、見識の豊富なお方が書き進めていると思います。

複数人でお書きのようですが、日々のプレッシャーの重さを感じる、素晴らしい文章を読むことが出来ます。

合わせて見ているネットのニュースでは味わえない深い読み物と思っています。

過日は障害のある息子さんとお母さんのお話しでした。

とても、良いお話しですので、お読みのお方もおられるとは存じますが、そのままに一部を書かせて頂きます。

(母親が、我が子の履歴書を持って訪ねて来た。

障害のある息子を雇ってほしいという。「うちでは無理です」と断っても、彼女はあきらめなかった。

「給料はいらないですから、働かせて下さい。そう言って何度も頭を下げた」。

「驚きました」。

浜松市で農園を営む鈴木 厚志さんは30年ほど前の出来事を振り返る。「当時の私にとって、働くとはお金を稼ぐこと。なんだか、自分が薄っぺらく感じました」と答えたそうです。)結果、此方の農園では現在多くの障害をお持ちの方々が丁寧な野菜作りに関わっているとのことです。

(そこに至る想いの根底には「お母さんは信じている、この世に無駄な人間はいない。息子にも役割がある。どこかに彼を必要とする人がいると信じている」からだと語られています。)

お母さんのお子さんへの限りない愛情の深さを感じますと共に、ご縁を頂く皆さんと多く接しさせて頂く、お寺の者として、心に深く留め置かねばならぬと思わせて頂く言葉となりました。

人は十人十色、同じ人はいません、ご縁を頂く皆さんの有り様を真摯に受け止め、思い込みで他者と接するのではなく、丁寧なご縁を繋がねばと強く思うことでした。

副住職の息子にもこの記事を直ぐに読むよう伝えました。

この文章で伝えようとされていることを胸に刻み、息子がお寺の運営を致して行くことを希求致したいことです。

故人を通じて深まる家族の絆

先日、何時も丁寧で懇意に致して下さる檀家さんの所で法要をさせて頂きました。

大事な大事な奥さんと先祖の追善法要ということで多くの親戚、お子さん方が集われました。

読経中、背中に伝わる皆さんの想いの深いお手合わせを感じ、無事に法要を勤めさせて頂きました。

恐縮致すほどのご丁寧な挨拶を頂き安堵いたす所となりました。

郡部のお寺さんは多く法要後の御膳振る舞いにご一緒なさる事が多いようですが、都市部のお寺はその席をご遠慮なさる事が多いようです。

霊源院でも法要の後はお越しの皆さんへお膳振る舞いをなさる方は多いのですが、その時私にもお声掛け下さる方が多いのですが、私が混ざりますとお気遣いなさる方もおられますので「どうぞ、皆さんで故人を偲び、ゆっくりと会食下さい」とご遠慮致すことが多いです。

しかし、今回はお言葉に甘えご一緒させて頂きました。

法要の主催のご主人曰く「私は法要、月参りは勿論、故人を介して親族の皆と食事を致すよう心掛け、故人への繋げる縁を深めるよう心掛けています」との言葉を頂きました。

法要の眼目は故人を偲び、真摯なお手合わせを頂くことで故人の安穏を祈ることですが、故人の徳を介して残って暮らしている私たちの絆を強め、より良き日々を積み上げられるように致すことも眼目の一つとなります。

ご主人のお言葉は当にその実践であり、そこに関わりを持たせて頂いている私にとっても嬉しい言葉となりました。

水子供養へお越しの皆さんがお参りなさります「絆縁堂」も同じ思いにてその名前に致しています。

此方へお参りの皆さんも同じくその想いでお参り下っていると思います。

台風には十分な御注意を

愈々、大きな台風が近づいているようです、お寺にとってもとても緊張、心配なこととなります。

思いもしない大きな被害を残して行く最近の台風、情報に耳を傾け、油断なくやり過ごしたいです。

どなた様も十分に御注意を頂き、今週はお過ごし下さい。合掌

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