過日、何気に見ておりましたネットの記事、「心を他者により潰されそうな時の対応」というお話がありました。
世の中は助けたり、助けられたりのご縁を頂き日々の生活を積み上げていることは間違いないのではないでしょうか。
それは仕事の上でも、日々の生活ででもです。
只、最近は覚えきれない程の数の何々ハラスメントと言われる定義が日々、耳に入って来ます。
直近では某県のハラスメントも真偽は明らかになる途中ですが大きな問題になって世間の耳目を集めています。
それ程に精神的には勿論、時には直接的な強いストレスが日々あるのが今の時代の現況のようです。
それは表現を変えれば我が心を他者によりつぶされそうになっているということではないでしょうか。
そんなタイミングでネットの上に述べました記事に目が留まりました。
そのお方は、「我が心に土足で押し入り、心を潰そうという輩に対しては、あーの、こーのと思い煩わずに、さっとそこから逃げておしまい」と申されます。
そうは言っても、仕事を簡単に辞めるわけにもゆかず、人との関係を一方的に我が想いで断ち切れるものではありません。
しかし、我が心の中でなら「逃げる」ということは可能なのではないでしょうか。
今やいじめでさえ学校の中だけではなく、職場の中でさえもあると聞きます。
更にはそれが原因で自死に至ることさえあると聞きます。
その様なことは絶対に有ってはならないのですが、何か「逃げる」という言葉はどうしてもマイナスのイメージを伴い、ハイそうですよねとは言い難い部分が有ります。
でも私は頷くところがありました。
この私の心の中は仮に踏み込まれ嫌な想いがあっても、変えることは誰にも出来ない、ましてや「さっさとそこから逃げることは出来る」と思い至りました。
とてもシンプルで、直接的なお話ですが、心に染みて来る話となりました。
現実的にはどうなのと思うお方もおられるとは思いますが、頭の隅に留め置く価値のある言葉と思います。
それに繫がるお話しを少し
禅語に「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)という教えが有ります。
「自分のこんなところがだめなんだ」、くよくよと悩んでいると自分に悪い部分があるように感じてしまう時が有りますよね。
特に真面目で、自己を真摯に見つめるお方様は特に。
けれど本来人にはそうした悪い部分、汚れなどは何もないのです。
迷いや苦しみの原因を探して行っても、具体的な原因など最初からないのですから見つかりません。
それらは全て人との比較や必要ではないつまらない執着心から生まれるものです。
形の無い物に捉われることに意味はありません。
悩みなどは、自己の偏った考えが作り出した幻のようなものだと気づくことが大切です。
先に述べました他者による心の躓き、それを感じました時には「さっさと逃げる、そしてこの禅語を思い起こし」、潰されぬよう踏ん張り頂きたく心から願います。合掌