この言葉も消滅してしまいそうです

2024.09.17

この言葉も消滅してしまいそうです

7月、8月の暑さは予想通り凄まじい暑さの連続となりました。

生命が脅かされる暑さに連日向き合う事となるとは思いませんでした。

それでも、盂蘭盆会施餓鬼法要とお盆のお参りを息子二人の協力で無事に乗り切り、檀家さん方のお元気なお顔を拝見出来、猛暑の辛さも少しは緩和されました。

そして迎えた9月、残暑は覚悟致しておりましたが、残暑を超える猛暑日が今も続いています。

「暑さも少しマシになりましたね」との会話を今もって出来ずにいます。

しかし、秋の彼岸はもう直ぐそこです、「暑さ、寒さも彼岸迄」という言葉は聞くことが出来ないのではないかと思う日々です。

今年は例外でしたではなく、そんなに遠く無い時期にこの言葉が消滅してしまうのではないでしょうか。

情緒的な事だけではなく、本当に心配なことです。

さて、何回もお聞きになられているかもしれませんが

春分、秋分の日が彼岸になるわけ

「彼岸」というのはパラミータ(波羅蜜多)の語に由来し、悟りに至る状態を指します。

極楽浄土は西方にあるとの考え方から、太陽が真西に沈む春分、秋分の日の夕日を見て願いを立てれば良き世界へ転生なさる、或いは「悟りの」世界へ近ずくことが出来るというところからも来ているようです。

又、彼岸中の一周間が残されて日々を暮している私たちの修行期間とも言われます。

この一周間は大事な故人を想い、ご先祖を敬う気持ちを再確認致し、お墓参りを致します。

そして、日々を生きる私たちは先達に恥じぬ日々を送っているのか、足りぬ所があればそれを修正致す修行の期間ともとれるのです。

何回も申し上げますように、お墓へ参りましても凄まじい熱気が襲ってきます。

体調を崩しては折角の修行も台無しです。

十分な猛暑対策の上お越し下さり、お寺が用意致しました「日傘」もご遠慮なく利用下さい。

又、お参りが終わりました後は帰路を急がず、地藏堂に設置致しましたエアコンでお身体を十分に冷やしてから帰路について下さい。

「ぼたもち」と「おはぎ」

春秋の彼岸になりますとお菓子屋さんの店頭を賑わす「ぼたもちとおはぎ」、此方も皆さんよくご存知とは思います、春は牡丹の花咲く頃なので「ばたもち」、秋は萩の花が咲く頃なので「おはぎ」ですよね。

その萩の花も暑さで遅れているようです。

どうして、おはぎをお店で購入致し、お墓へ、仏壇へお供え致すのでしょう、若い世代には理解出来ぬ所かもしれません。

昔は白米と言えば最高のご馳走でした。

私が修行道場でお世話になりました時も、ご飯は「麦飯」です。

たまに、白米を頂く時はやはり特別なご馳走でした。

その白米にこれも大切なもち米を混ぜて美味しく焚き上げてお餅を作り、貴重な小豆とこれも貴重でなかなか手に入らなかった大事な砂糖を混ぜて作った餡でくるんだ「おはぎ」、それは昔の方々には特別のご馳走だったのです。

霊源院へ水子供養にお越しの若い世代の皆さんは饅頭は苦手、或いは、甘すぎるお菓子は少し苦手と申されるお方が多いように思います。

しかし、且つては本当に貴重なこれらで作った「おはぎ」は別格の食べ物だったのです。

その様な最高のご馳走を心を込めて、仏様、ご先祖、大事な故人へお供え致し、家族の者がが揃ってそれを頂く、そこに、昔の方々の慎ましい祈りの気持が込められていたのです。

しかも大事なのは、そのご馳走を自分たちだけが食べるのではなくご近所、大切な知人にもお配りなされ皆さんに召しあがって頂いたことです。

他に施す無償の行為を仏教では「布施行」といい大切にします。

そういう意味では昔の方々は「おはぎ」を皆に召しあがってもらうことにより「布施行」を自然に実行なされていたのです。

けっして珍しくないお菓子「おはぎ」、秋のお彼岸のこの時期、お墓参りの後のお下がりを頂戴致す時は、そんなことを思いお越し召し上がって頂くのも良いかなと思います。合掌

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