お葬式の時に「前に座っているお坊さんは、どのような事をしているのだろうか?」と思われた方も多いのではないかと思います。
今回は、霊源院でのお葬式について簡単にまとめてみましたので参考にして下さい。
霊源院は臨済宗の寺で、東福寺派の本山の中にある塔頭寺院です。
霊源院の境内には、お檀家さんのお墓や沢山の永代供養墓が建ちならんでいます。
永代供養墓を通じて霊源院との御縁をいただいた皆様は、様々の宗派の方々がいらっしゃいました。
宗派へのこだわりがなく御縁を頂きました皆様は、霊源院との御縁と云うことで法事や御葬儀をさせて頂いてきました。
これまでも多くの皆さんと御縁を結ぶことが出来て、とても感謝致しております。
特に永代供養墓をお求めの皆様の中には、お子さんのいらっしゃらないお方様や嫁がれたお嬢さんだけのお方様など、後の事に憂いをお持ちのお方が多いように思います。
永代供養墓を通じてご縁をいただけたことで、葬儀、法事等での憂いの無きように対応させて頂く事が出来る様になったのではないかと自負しております。
これからも以前の宗派にこだわること無く、ご遠慮なく霊源院をお頼り頂きたく思います。
只、霊源院は先に述べましたように臨済宗のお寺ですので、住職の私はその作法に則り、皆様の葬儀や法要をお勤め致します。
皆様にも機会がある度に、作法のご案内をしていきたいと思っています。
お葬式は故人をお送り致す大事な儀式とのことは何度も申し上げて参りました。
以前にもお葬式の中で私が行っている作法についてはお話致しました。
ここの所、お檀家さんや永代供養墓の皆さんからのご不幸のご連絡を頂戴致す機会が多いように感じます。
そのことも含めまして、ここでもう一度、今回は私が勤めさせて頂いている臨済宗の御葬儀の一端をお話しさせて頂こうと思います。
葬儀は、その地方によって様々な慣例があります。
また、お寺によっても違いがありますので一様には申し上げられないのですが、一般的な臨済宗の御葬儀の手順を簡単に述べたいと思います。
故人をお送り致します時や、皆さんが同席致される際の参考になさって頂ければと思います。
葬儀は故人との惜別と、故人を成仏へと導く厳粛な法要です。
それと共に参列者が生老病死(しょうろうびょうし)の理(ことわり)を感得致し、人生の本質を見直す機会ともなります。
是は全ての宗派に共通致す基本です。
葬儀では、人間界にて四苦八苦の修行を終えられました故人を仏弟子として導く「受戒」と佛の悟りの世界へ導く「引導」がその作法の中心となります。
先ずは故人が仏弟子となる得度式(とくどしき)として剃髪(ていはつ)の儀式を致します。
生前の行ってしまった悪行を悔い改める懺悔文(さんげもん)を僧侶が故人に変わり申し述べます。
そして、仏道へ帰依することを表明致し、自身の身心を清浄に致す、三帰戒(さんきかい)を唱えます。
更に、導師(住職)がこの世の諸行無常(しょぎょうむじょう)を悟らせ、この世との縁を断ち切る引導法語(いんどうほうご)を唱えます。
この引導の後に臨済の一喝という、大きな声にて喝(かつ)と唱えます。
大きな声にて喝と唱えることは、臨済宗の葬儀としての大きな特徴の一つです。
故人の御霊(みたま)がこの世に執着(しゅうじゃく)致さぬように未練を断ち切る一喝であると共に、残された遺族が故人への愛執(あいしゅう)を断つ意味もあろうかと存じます。
そしては住職が払子(ほっす)という仏具を右左に振り、引導を唱えます。
この払子にて人間界にて積もった垢と煩悩、欲を払い落します。
大切な故人ですから、愛執を断ち切れないのは当たり前でしょうし、それが人情として当然かと思います。
しかし故人への追福や追善の法要を積み上げていく中で、残った我々は少しずつ前を向いて歩き出すことが出来る様になると存じます。
臨済宗のご葬儀の手順を簡単にお話させて頂きましたが、ご葬儀に参列なされた折には、上に述べましたことを頭に残して置いて下さいましたら参列の意義も少し変わるかもしれません。
住職としての戒めを忘れずに、故人様や残されたご遺族の皆様へご供養の意味が十分に届きますように心を込めてお勤めをいたします。
ここに来て、コロナの感染状況の厳しさは報道の通りです。どなた様も寒さとコロナ罹患に注意致し、日々を過ごす以外にありません。
何卒、お身体御自愛下さい。合掌