霊源院には、水野勝成公という大名のお骨が分骨されている水野家の墓所があります。
水野勝成公は、奈良県の郡山藩主を経て、広島県にある福山城の初代藩主をされたお殿様です。
若き日の勝成公は、曲がったことが大嫌いな性分と、誰にも媚びない大胆不敵な性格ゆえに、強者として知られていたにも関わらず放浪をされていた時期もありました。
そのような彼の生き様は「倫魁不羈(りんかいふき)」(余りに凄すぎて誰にも縛りつけることはできない)と称されたと伝えられています。
徳川家康公より従五位下に叙任され明智光秀公以来の日向守を名乗りました。
大阪の陣では、真田信繁(幸村)公が最後の賭けに討って出ました。
本陣の家康公を、あわやというところまで攻め込んだ真田隊でしたが、勝成公が率いる部隊が西側から攻め寄せて、松平・本多隊に足止めされていた真田隊を壊滅させたと伝えられています。
槍を手に先鋒を行く勝成公の勇猛果敢な姿から、鬼日向の異名で恐れられた猛将でした。
霊源院のホームページには水野忠重公と霊源院との関わりを少し解説致しておりますが、勝成公は忠重公の子になります。
一度お目を通して見て下さい。
水野勝成公の墓所は、境内墓地の奥の方のございます。
地蔵堂の先の小さな階段を進み、右前方に目をやりますと、4本の石の丸柱に石の屋根がのった大きなお墓が見えます。
勝成公墓所の背面には、永代供養墓の常久観音墓が沢山並んで建っています。
此方が水野家の墓所となります、霊源院の歴史を語る一端のお墓です。
5月4日は水野勝成公の命日ですので墓前にてご回向を致しました。
皆さんも宜しければお参りの帰りにお手合わせ頂きましたら有難く存じます。
5月5日のこどもの日に、蓮華堂、絆縁堂、子安地蔵尊でご回向をさせていただきました。
毎年、ご回向をいたしておりますが、今年はお参りにお越しの方も多く、皆さんが熱心に供養をされている姿に心が打たれる思いです。
霊源院では定期的にご回向をいたしておりますので、お参りにお越しいただけない方もご安心ください。
今年の連休は長さにも驚きますが、人出の多さにもびっくり致します。
本当に皆さん外出制限のストレスが蓄積なされていたと思います。
各地の観光へお越しの報道を見ますとその人出の多さにびっくり致しました。
お寺は休みの時は檀家さん方の法事をお受け致す機会が増えますので、外の様子が全く解かりません。
法事へお越しの方々や水子供養へお越しの皆さんにお話しをお聞き致しますと、報道の通り車の渋滞を含め大変なようです。
本日、大阪からお供養へお越しのお方も考えられない車の渋滞であったと嘆かれておられました。
こちらのお方は、大阪府高槻市からお越しでしたが、車は諦めて電車でお越しになられたほどです。
しかし乍ら、どなた様も、事故の無いようお楽しみ頂き、間違っても観光船のような辛いことはもう起きぬよう願いたいと思います。
そして、休み明けからは又、皆さん力いっぱいに充実した日々をお過ごし頂きたいものです。合掌