霊源院の開山である在先希譲(1335~1403)は、建武2年(1335)に越中国(今の富山県)に生まれました。
青年時代に『元亨釈書』の作者として著名な虎関師錬の弟子である龍泉令淬に師事して、尾張国真福寺で出家しました。
初めは建仁寺で修業したあと、至徳元年(1384)8月に三聖寺住持に任じられて以降、龍泉の法を嗣いで東福寺聖一派に転じ明徳元年(1390)8月に普門寺の住持を歴任したあと、応永5年(1398)8月に東福寺62世となり、同時に応永10年3月4日、享年69歳で海蔵院において示寂しました。
東福寺の画僧吉山明兆(1352~1431)が描いた在先和尚の肖像画は、生前の姿を描いたもので、上部に自ら賛を加えた自賛の寿像です。
毎年祥月命日にあたる3月4日(現在は4月4日)には、当像を掛けて開山忌法要を行っています。
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